ハンドベルは17世紀後半のイギリスで誕生しました。その起源は、教会の鐘楼に吊るされた大きな鐘(チャーチ・ベル)であるといわれています。
当時の人々にとって、教会の鐘の音は時報としての役割の他にも、冠婚葬祭の儀式に使用されたり、非常時を告げる警鐘としての機能を担ったりと、日々の生活に欠かせないものでした。
そのため、リンガー(鐘を鳴らす人)達は、目的に応じて異なる音色を正確に奏でる必要がありましたが、練習のたびに教会の鐘の音を街中に響き渡らせるわけにいきませんでした。
そこで、実際に教会の鐘を鳴らすことなくチェンジ・リンギング(チェンジと呼ばれる数学的規則による音階の組み合わせに従った演奏)の練習ができるようにと考案されたのが、ハンドベルです。
【ハンドベルによるチェンジ・リンギング】
教会の鐘(チャーチ・ベル)によるチェンジ・リンギングは、一つの鐘につき一人のリンガーが担当し、使用する鐘と同人数のリンガーが協力し合って演奏するので、互いに鐘を鳴らすタイミングをしっかりと合わせなくてはいけません。
下の動画は、ウエストミンスター寺院(イギリス)のリンガーの方々がチェンジ・リンギングを披露したものです。ロープを引っ張って担当の音を鳴らすのは意外と重労働だそうですが、リンガー同士、息もぴったり合っています。
【チャーチ・ベルによるチェンジ・リンギング】
アメリカでの発展
18世紀中頃に、イギリスのホワイトチャペル社が初めてハンドベルを本格的な楽器として製造するようになると、チェンジ・リンギングの練習用に使用されていたハンドベルが、教会での賛美歌の演奏などにも使用されるようになりました。
ホワイトチャペル社のハンドベルはその後、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどの旧英連邦諸国に伝えられました。中でもアメリカは、20世紀初頭にハンドベルが伝えられるとたちまち全国的に普及し、そこで独自の発展を遂げます。
アメリカでは、ハンドベルが教会音楽の枠を超えて様々なジャンルの音楽が演奏されるようになりました。また、様々な奏法が試みられた結果、変化奏法が確立されて表現の幅が大きく広がりました。
現在、アメリカはハンドベルの二大メーカー(マルマーク社とシューマリック社)を有し、9,000を超えるハンドベルチーム(アメリカハンドベル連盟登録チーム数)が存在するハンドベル大国です。その数は、ハンドベル誕生の地イギリスを抜いて世界第一位となっています。
日本での普及状況
日本で本格的に演奏活動が行われるようになったのは、金城学院中学(名古屋)の音楽宣教師であったケリー先生が、1970年に金城学院中学でハンドベルチームを結成してからです。私は幸運にもその一期生として、ケリー先生から直接ご指導いただきました。
ケリー先生は日本でのハンドベル普及に尽力されました。現在、日本には約650のハンドベルチーム(日本ハンドベル連盟登録チーム数)が存在します。しかし、ハンドベル大国アメリカのチーム数と比べると、その数は遠く及びません。
ハンドベルは元々、讃美歌をはじめとした教会音楽を演奏する楽器でした。現在は教会音楽の枠を超えて様々なジャンルの曲が演奏されていますが、今でもなおハンドベルはキリスト教色の非常に強い楽器で、毎年クリスマス(生誕祭)の時期には多くのチームがコンサートを行います。
このような背景から、アメリカやイギリスのような国民の大多数がキリスト教徒である国では、ハンドベルの普及が比較的容易であったことは想像に難くありません。一方、日本ではミッション系の学校でないと、学生時代にハンドベルに触れる機会はほとんどありません。また、ハンドベルが非常に高価な楽器であることも、日本での普及の大きな足枷となっています。
ミュージックベルの誕生
そこで、「より安価で、誰でも気軽に演奏できるハンドベルを作ろう」と、作曲家の鈴木邦彦氏が考案し、1982年に幼稚園・小学校用の音楽教材として内田洋行から発売されたのが、「ミュージックベル」という日本発のハンドベルです。
これによって、かつては無条件に「イングリッシュハンドベル」のことを指していたハンドベルは、主に日本において、「イングリッシュハンドベル」と「ミュージックベル」という二つの楽器のことを指すようになったのです。
イングリッシュハンドベルとミュージックベルの違いについては、「2つのベルの違い」をご一読ください。